今日から、数日にわたって、私がこのブログを書くようになったいきさつを連ねていきます。
コーデのみのブログのつもりだったんですが、語らなければいけないような気がしてきたからです。
よろしければお付き合いください(^^)
自分の容姿が嫌いだった子供時代
私は、自分の容姿が大嫌いでした。
ショートカットで男の子みたい
小さい頃から髪型はショートカット。
これは、自分が望んだのではなく、母のセルフカットでした。
くせっ毛だったので、扱いやすいように短くされていたのか、あとでクセで短く縮むことを考慮せずに切られていたのか?(母も強いクセ毛だった)
どちらもあり得そうなので、理由は定かではありませんが、とにかくずーっと短かかったです。
全体的に短いのに加え、記憶にはないですが、写真で見る限り、前髪がめちゃくちゃ短い時がある!
これは明らかに短かった理由の後者=切るときに伸ばして目の上に揃えて切っても、仕上がりはクルンと上に上がって、超短くなる!
すーーっごいヘンなんですよ、髪型が。
自分でも思うくらいだから、他人もそう思ってたと思う。
「これはないだろう」って突っ込みたくなるほど。
そんなわけで、小さい頃はよく男の子と間違われていました。
そして、答えるのがいつも嫌でした。
怒られてばかりで表情がない
そんな、髪型コンプレックスに加えて、小さい頃はずーっと母親に怒られていた記憶があります。
なので、すこぶる自己肯定感が低い。
怒られることにいつも怯えなくてはいけないから、必然的に表情に乏しい子になっていました。
寝るときに雑音?雑画面?みたいなのが襲ってきたり、冷たいところを触っていないと眠れなかったり、寝付きの悪い子供でした。
不安症からか、おねしょや爪噛みもひどかったです。おねしょは小学校中学年、爪噛みは大人になるまでやめれないほど。
そんな、表情が乏しい‥というより怖い顔してたかも?不安そうな顔をしていたかな?
だったので、小学校の時は「ブサイク」と言われたことも何度かあります。
ちょっと人気のある男の子からのこの言葉は大きく傷つきました。
ど近眼で牛乳瓶の底のようなメガネと校則によるおかっぱ
中学生になりました。
学校の校則は、『髪は肩についたらくくるかショートカットにすること』というもの。
小学生の時よりは自分でなんでもできるようになっていたので、クセ毛が少しでも扱いやすいように肩まで伸ばすことに。
でも、クセの扱いには、当時の中学生には限界がありました。
そして、私は小学校高学年からメガネをかけ始めました。
1年生の頃から悪かった視力は、矯正の努力もむなしくメガネに。
そして、みるみる近眼はすすみ、中学校のときにはど近眼による牛乳瓶の底のようなレンズの厚みに。
まだ、当時は薄型レンズなどもあまり普及してなかったんでしょうね。
早くからのメガネ生活も嫌だったし、クセ毛の扱いがわからない、固定な髪型にも不満でした。
かといって、オシャレをしようという気は芽生えませんでした。
自己肯定感が低かった思春期
すでにこの頃の私は
☑︎自分はどうにもならない
☑︎私はブサイクで不運だ
☑︎テストで良い点が取れない=バカだ
☑︎体力がないからすぐに疲れる
などなどの、自己否定感に包まれていました。
この頃もまだまだ母に怒られることがあり、高学歴や好成績を求められたり、良い子でいることを求められていたような気がします。
そんなレールの上に乗っかっていた私は疑うことなく
☑︎勉強しないと
☑︎いい子でいないと
☑︎いい高校に行かないと
☑︎周りの人はバカだ
母の洗脳に染まり、できない自分を棚に上げで、周りを批判していたような気もします。プライドも高かったし。
なんか、書いていて悲しい(T . T)
自信がないことをそうやって紛らすしかなかったんですね。
当時好きだった漫画や歌のセリフにはたくさん励みされて、胸に刻んでいました。
この後、高校受験にも大学受験にも失敗し‥
というか、国立大卒の母の希望のレールには乗れなかったんですね。それを当時は失敗だと思っていて短期大学に進学しました。
さすがにこの頃になると、妹も進路が芳しくなかったこともあり、母も自分の価値観を押し付けることは減りました。(母自身も少し自覚したといっていました)
短大から社会人の時のことについては次に続きます。
お読みくださりありがとうございました!